インドネシア語

インドネシア語のKamiとKitaの違いは?

インドネシア語の「私たち」を正しく理解しよう!

インドネシア語の「私たち」は“kami”と“kita”の2種類あります。英語の“we/our/us/ours”のように「私たち(主格)」や「私たち(所有格)」によって使い分ける必要はありませんが、それとは違った「話し手 / 聞き手」といった視点から区別する必要があります。それでは具体的にみていきましょう。

 

“Kami” は聞き手(自分が話している相手)が含まれない時に使われます。

          Putri tinggal di sebelah rumahku. Kami adalah tetangga.

          Putriはわたしの家の隣に住んでいます。私たちはご近所さんです。 

 

そして “Kita” は聞き手(自分が話している相手)が含まれる時に使われます。

          Besok ketemu di Stasiun Gambir jam 6 pagi ya. Kita akan pergi ke Bandung dengan kereta.

         明日6時にガンビル(Gambir)駅で待ち合わせしよう。私たちは電車でバンドン(Bandung)に行きます。 

 

以上が基本的なルールです。

しかし、ルール通りにいけば“kami”を使うべき場合でも、その時の状況によっては、自己中心的な人に見られるのを避けるために“kami”よりも“kita”を使った方がいいケースもあります。

この使い分けは日本人にはなかなか難しいですよね。けれど、聞き手を含むか含まないかで言い方が変わるのは、実はインドネシア語だけではないんです。

例えば、中国語(北京語)では聞き手を含む場合の「私たち」は“咱们 (zán men)、聞き手を含まない場合は“我们” (wǒ men)になります。

フィリピンのタガログ語でも、聞き手を含む場合の「私たち」は “kami”、含まない場合は“tayo”と言います。

 

いかがでしたか?言語によって、何に注目して言葉を使い分けるかが変わるのは、面白いと思いませんか?

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